立体写真像株式会社0 |
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1927年8月27日 |
東京朝日新聞 |
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1927年8月27日 |
讀賣新聞 |
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1928年3月3日 |
東京日日新聞 |
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創業当時のカタログ |
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1937年パリ博覧会 |
金賞受賞 |
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1987年1月25日 |
東京新聞 |
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アメリカでの |
立体写真像カタログ |
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立体写真像株式会社本社 |
営業時間 |
月〜金 8:30〜17:00
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創業 昭和2年
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設立 昭和8年4月
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代表者 代表取締役会長
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盛岡公彦
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「寸分もちがはぬ肖像」
「これこそ世界的なお手柄」
- 1927年8月27日、東京朝日新聞、讀賣新聞の各紙が一つの発明を大きく取り上げました。この発明は当時、大変大きな話題となったのです。
- まずはこの写真をご覧下さい。これが『立体写真像』です。
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- 発明者の盛岡勇夫は1893年(明治26年)広島県に生まれ、中学校時代から写真の持つ迫真性の素晴らしさに惹かれ、これをそのまま「立体化」する方法を考え始めました。大学卒業後、一旦は雑誌「新小説」の編集者を務めましたが、芥川龍之介氏・菊池寛氏らとの出会いの中、その文豪達の面貌に深く感銘を受けたのをきっかけに、あらためて人間における「顔」というものの持つ意味に思い至たり興味を持ったといいます。
- その後、1920年から本格的に『立体写真像』の研究に取り掛かり、3年後の大正12年遂にその完成をみました。しかし、同年の関東大震災により全ての資料を焼失し再制作を余儀なくされ、再び発表するまでには さらに4年の歳月をかぞえる事になったのです。
- 発表後は、早速高松宮様からお問い合わせを頂き、当社として最初の銅像を制作することになり、同時に現在の前身として(株)資生堂立体写真像部がスタートしました。
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- 1937年には、パリ博覧会において〈立体写真像制作方法〉を出品して金賞を受賞し、世界的にその優れた技術と芸術性の高さが認められました。
しかし当時の社会情勢の変化は、例外なく当社にも降りかかり「銅合金販売禁止令」に伴なうダメージは、制作過程の方向転換を余儀なくされ それは終戦後しばらくまで続くこととなりました。それでも戦時中はご自身の形見として、立体写真像を残されたいという方が多かったといいます。
- その後 現在に至るまで、各界著名人をはじめ多くの方々がご記念やお祝いにとご自身の像を残されています。同時に各国大統領やアポロ宇宙飛行士など、海外からの方々も制作してきました。作品集の中でも紹介しています。
- 顔は人生そのものを表わしている、最高の芸術品です。
そのかけがえのない風姿を、ありのままに再現し、永遠に残しておくことができたらどんなに素晴らしいことでしょうか。
- 『立体写真像』は、これからも世界でただ一つの肖像彫刻を提供し続けてゆきます。
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RITTAISHASHINZO
CO.,LTD.0 |